bplist00?_WebMainResource? ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO?G CineMagaziNet! no.18 加藤幹郎 大アンケート*わたしの理想の教科書

大アンケート*わたしの理想の教科書


加藤幹郎

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質問
1 あなたにとってもっとも印象に残っている「教科書」と、その理由をお聞かせください(いわゆる教科用図書でなくともかまいません)。
2 教科書に採録したらよいと思われるテキストに、どんなものがありますか。
3 あなたが教科書を作るとしたら、何についての教科書を作りたいですか。
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1 もっとも印象に残っている教科書というのはとくに思いあたらないが、昨年度、ある大学の国語の入試問題に拙著の一節がつかわれていると知らされて愕然としたことがある。これは拙文が、一元的な解釈を強いられ(設問と回答が一対一対応し)、意味の揺らぎを剥奪されたことを意味する。わたしは自分のテクストがそのような災厄に遭うことなど予想だにしていなかった。印象に残っている教科書はないが、印象に残っている教師はいる。教科書には教師と学生という二大ユーザーがいるのだから、運用面においては、たとえ制度的に教科書を採用するはめになっても、教室ではいっさい学生に教科書を開かせないのが良い教師というものだろう。

2 いかなるテクストもわけへだてなく教科書に採録しつづけるべきだろう。それによって千変万化する多義性を教科書に導入してほしい。とはいえ、どんなテクストもひとたび教科書に採られたら、その言葉はやせ細ってしまうに違いない。だからテクストの豊穣性を願う読者には永遠に教科書と無縁であってほしい。

3 教科書に期待される機能はしばしば一元的なので、教科書が発する問いの答えはひとつしか許容されず、そこに多様な解釈、多義的な言葉が入り込む余地はほとんどない。その意味で教科書はいつもどこかしら全体主義的煽りをおびている。だからわたしが教科書作りにかかわるということはないだろう。といいながら、昨年、みすず書房の「理想の教室」というシリーズにかかわった。しかし、このシリーズは「教科書たりえない教科書」を企図したものであると、わたしは理解している。それは拙著(「理想の教室」シリーズの一冊)の読者アンケートやインターネット上の読書感想文(あるいはある賞の候補になったのでその選評)などを読めばよくわかる。少なからぬ読者が拙著に単一で明快な解答を見いだせなかったために誤読ないし業腹にいたっている。「誤読」も著者が思いもよらなかった生産的なものならおおいに歓迎するが、著者の見越していた誤読となると、それは業腹の読者同様、著者も業腹ということになる。ともかく「理想の教室」も「理想の教科書」も「理想の教師」も、「理想」という言葉の本義からして実在しないのだから、教科書にかぎっていえば、教科書を作っても、それをつかわない、教科書を採用しても、それをつかわない、そのような使用されざる教科書こそ「理想の教科書」ということになるだろう。 


(『ユリイカ』2006年9月号「特集*理想の教科書」[第38巻第10号、青土社]に掲載)

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